宇宙

「新世紀 航空宇宙史」より

星の海 第3章



 ヘリオ・アルファ2恒星系の探査を行うため、船団は第二前衛艦隊の艦艇を送り込んだ。巡洋艦ふぇにっくすと特務駆逐艦さくらじま(観測作業のために改装されている)は最外周の公転軌道ファイから1万キロメートル地点で空間転移を停止、彗星母雲、小惑星帯の調査を行った後人類の連続生存圏内にあると考えられる第4惑星への上陸を行う予定であった。一方船団本隊は未知の空間に分け入り、新たな観測、探査の対象を見出す作業を日夜続けている。母船アルファを護衛しているのは巡洋艦1隻と駆逐艦3隻のみ。他の艦艇は現在、船団本隊とは別行動をとって探査、観測のために数万光年の範囲に散っていた。
 10年の長きに渡る探査航海は、実は分刻みの過密スケジュールで運営されていた。その中で、参加した科学者達の研究テーマに沿ったデータの収集、地球の研究者からの要望に基づく実験・検証、企業・政府オーダーである経済探査(資源・移住・経済航路設定等)、そして船団を守る国連宇宙軍将兵の訓練・養成が行われていた。

 蜜と乳の流れる所・・・旅するものの変わらぬ憧れである。外宇宙探査船団に巨額の投資をした各国政府は、船団が経済効果の高い成果を持ち帰る事を期待していた。”スターゲートジェネレータ”は、外宇宙の資源を驚くべき低コストで輸送することができる。


 母船アルファは小さな都市、小さな地球である。外宇宙探査の拠点であると同時に数万の人々の営みの場でもあった。食料の自給は無論のこと、生活と教育・趣味・娯楽等に必要なあらゆる製品が流通しており、多数の企業からの出向者、あるいは船団内での営業許可を得た個人によってさまざまな事業が営まれていた。
 衣類や耐久消費財等に至っては徹底的に小型化された船内工場と、ビジネスマン達が編み出した奇想天外な流通手段によって地球の流行に追随することさえ可能としていた。アルファの船内都市のショー・ウィンドウは、年頃の女性を充分に楽しませる事ができたのである。

 アスカの次女で高校生のマリアは、同級生のシンディと連れ立ってブティックをひやかしていた。アルファの船内は人工の生態系によって人間の生存しうる環境が維持できるように設計されているが、建造にあたって、技術者達はそこに楽しい無駄を組み込むことに成功した。船内には緩やかながら四季の変化が再現されていたのだ。地球の温帯の季節変化にあわせ、暑さと寒さが巡ってくるため、娘達は秋の到来に備えての買い物を楽しんでいた。
「ねーねー、これ、どう?」シンディが薄紫のブラウスを胸に当ててみせる。
「悪くないね。これは?」マリアも自分の見つけた服を肩にはおってみた。数時間が瞬く間に過ぎ、ペーパーバッグを抱えた二人は行きつけのティールームでひと休みした。
「かわいいプリーツ・スカート、あれも欲しかったあー」マリアの第一声。
「マリア君、所持金は?」母から今月の小遣いをもらえなかったマリアはすかんぴんであった。
「コーヒー代貸して!」手をあわせるマリア。
「おねえさんが奢ってあげよう。」振り返ると碇ユリが笑っていた。

 マリアはシンディとユリをそれぞれ紹介する。
「すっごーい。ワルキューレに乗ってらっしゃるんですかあ?」
「まだ、候補生だけどね。」
「でもでも、ユリ姉はトップ・ガン当確なんだよ。」
「嘘よ。」
「嘘じゃないもん、成績表見たもん、ずっと主席だもん。」
「え?!」驚くユリ。
「訓練センターのデータベースに侵入したの。」マリアは舌を出した。
「・・・惣流君、政府機関へのハッキングは重罪よ。」ユリは恐い顔をしてみせた。
「それにしても、高校生に破られるシステムの方も情けないわねえ。」とシンディ。
「セキュリティ・ホールだったんだって。今システムの人たちが調べてる。ハッキングと言う程レベルの高いことはしていなんだけど・・・適当にIDを入れたら通っちゃったの。センターの人は大目にみてくれたけど、ママには大目玉。当分お小遣いなし。ぐすん。」
「「自業自得」」二人の返事はにべもない。
「でも、どうして訓練センターに?」
「パイロットになりたいの、私。」
「へえ。」ユリは年下の友人の輝く笑顔を見つめる。
「パイロットになって、宇宙を翔ぶの。光速を超えて、時間を飛び越して、ママがたどり着いた所よりももっともっと遠くへ。命ある限り何処までも前へ進みたいの。」マリアは瞳を輝かせ、熱っぽく語る。
「はあ。あたしには想像もできない波瀾万丈の人生。さすがはアスカおばさまの娘ね。」シンディは半ば感嘆し、半ばあきれたようにつぶやいた。
「ま、ね。」マリアはあいまいに笑い、店の外をながめた。
「ねえねえ、ユリ姉は?なぜパイロットに?」しばらくしてマリアが沈黙を破る。
「わたしは・・・」ユリは言葉を探す。が、なぜかふさわしい答えは見つからなかった。



「蜜と乳の流れる所、か・・・」ふぇにっくすからの報告書を読み終わったアスカはつぶやいた。
「鉄、コバルト、ニッケルの巨大団塊、シリコンの単結晶と思われる小惑星もあります。」
「資源不足は一挙に解決ね。人類は大金持だわ。」

 巡洋艦ふぇにっくすは、小惑星帯を探査、太陽系のそれとは比べ物にならない良質の金属資源を発見した。控えめに見積もってもこれまでの地球上の産出量の数万倍、今後の調査結果によっては水、二酸化炭素の存在も期待できる。そうなれば人類は銀河系外に宇宙進出の橋頭堡を築くことができるだろう。
 出発後1年余りを経て、船団はついに出資者の期待に応える発見に成功したのだ。

「観測グループに船団と国連の名で感状を。彼らの長い地味な仕事が、スペクトルの微少な変動を見逃さなかったおかげですもの。」
「司令、マスコミへの発表はいかがいたしましょう。」公報担当責任者が質問した。
「午後のコミュニケで各社に情報を公開してちょうだい。全ての情報を、ありのままに。ただし、スキームに従い正確な時空間座標は非公開とします。代表部への報告は済んでいるわね?」
「はい。事務総長からさきほどメッセージが届きました。お読みになりますか?」
「丁重なご返書をお送りして。」
「承りました。」司令部筆頭秘書のジャネットは苦笑した。

「むふう。」会議の後、不服そうに溜息をもらすアスカを見て、ジャネットは笑った。
「現場に出たいんでしょ。」
「船団司令、ってつまんない仕事よねー、結局事務屋ですもの。面白そうな仕事は研究職や軍の若い子達に取られて、あたしは彼らの始末書の添削ばっかりよ。うるうる。」
「辞表書く?喜ぶ人もたくさんいるわよ。」ジャネットは相手にしない。アスカは黙って両手を挙げた。
「ところで、司令、各国はどう動くでしょう?」秘書は言葉を改めた。
「宝の山を前に、国連憲章もどこまで神通力を保っていられるか、ちょっと心もとないわね。レイコにたのんで探ってもらってるけど・・・」
 その時、事務官が来客を伝えた。

 入って来たのは、司令部直衛航空隊指揮官、エリザベス=コーンウェル大尉だった。192cmの長身、モデルばりの華やかな美女で、豊かな黄金の髪と緑色の瞳は軍の内外に崇拝者を大勢持っていた。
「ちょっと、いいでしょうか?」
「もちろん。どうしたの?」アスカは母船アルファの最終防衛ラインを司る女神に尋ねた。
「実は・・・司令のご学友のお嬢さんのことで。」
「碇少尉が何か?」
「彼女を、ウチにいただきたいんです。」
 候補生のうち、ユリを含む第一期選抜クラス200名の訓練は、あと一月程で終わる。その後は適性と志望に応じて各航空隊に配属され、ローテーションに組み込まれることになっていた。船団が出発する時点ではパイロットの数はかなり不足しており、現場のベテラン達は候補生の仕上がりを首を長くして待ちわびていた。
「なぜあたしの所に来たの?」
「司令が、その、保護者でいらしゃるとお聞きしましたので・・・」
「ぶっ!」アスカは吹き出す。
「つまり仁義を切りにまいりました。直衛航空隊は司令部と母船を守るのが使命です。最優秀のメンバーをそろえたいと考えています。よろしいでしょうか?」
「保護者はよかったわね。なるほど・・・貴女の部隊運営に口を挟むつもりはありません。眼鏡にかなった候補生を自分の所にスカウトするのは指揮官の権利であり、義務でもある。遠慮は無用よ。」
「は。有り難うございます!」
「もちろん、口添えも出来ないわよ。わるいけど。」
「はい。自力で口説き落して見せます!」美しいアマゾンはにっこりと笑った。
「それと・・・これは惣流個人としての要望なのだけど・・・あの子は今、自分の適性や目的を見出せずに悩んでいるの。直衛航空隊は戦士の集団だわ。戦士は自らが戦う意味をわきまえ、戦場ではもう迷ってはならない。その事をわすれないでやって欲しいの。」アスカは相手を見つめた。
「はい・・・わかりました。心に刻んでおきます。」
「ありがとう。」

「もてもてね、彼女。」エリザベスが帰ったあと、アスカはつぶやく。同様の用件で訪ねてきた航空隊の指揮官は、彼女で6人目だった。
「守るべきものを持たない戦士は、勝つことも生き延びることもできない。宇宙ではなおさら。・・・」アスカは思案顔になった。



 ユリはめんくらっていた。何人もの航空隊のエース達が、自分の部隊への加入を勧めるために彼女のもとにやってきたのだ。彼らは自分の部隊こそが、船団の花形であり、やり甲斐のある、そして栄誉を勝ち得ることの出来る任務を担っている事を強調して帰っていった。
 訓練も終わりに近くなって、遠からず自分が第一線に配属されることは当然意識していた。しかし、まさか自分が先輩達の注意を引いているなどとは夢にも思っていなかったのだ。それに、今の自分の悩みと戸惑いに対する一種の後ろめたさがあった。
 自分は今、どうしたいのだろう。空自のパイロットコースを半ば修了した頃、外宇宙探査船団の話を聞いた。同期生のうちの幾人かと応募した当初は、力試し、と言う以上の事は考えていなかった。その気持ちが大きく傾いたのは、参考コースの宇宙機操縦シミュレーションでエプシロノ星系の3重太陽のV.R.映像を体験した時だった。

 ユリは宇宙機のコクピットを模したシミュレータに乗り込む。周囲の計器はすべて見覚えのある物ばかりだった。慣れた手つきでエンジンと操縦システムを起動する。出力を上げるエンジンの音に似せた電子音が鳴り、コントロールから「無重力発艦、準備よろし。カタパルト解除指示を待つ。」と言うオペレーターの声が聞こえた。
 無重力発艦は直前に簡単なレクチャーを受けただけで、初めての経験だった。エンジンの推力上昇を確認し、操縦かんをしっかりと保持する。”発艦可能”の表示が出た。「解除」ユリの声と同時にシミュレーターは発艦・飛行状態となり、彼女の体はすさまじい加速度の為にシートにめり込んだ。
 宇宙空間の飛行は、不思議な感覚だった。大気圏内での飛行は、空気の層に乗り、あるいは切り裂き、はね返され、その流れの中を泳ぐ感覚がある。しかし宇宙空間では、機体は何者にも遮られる事無くパイロットの心のままに飛翔する。機体は光速の20%程度と言う超スピードを出しているが、コクピットの画面に映る天体は微動だにしない。地球上とは圧倒的に異なる距離と時間の感覚はユリに強い感銘を与えた。地球は小さい。小さな地球がひっそりと息づく宇宙の片隅で私は生まれ育った。私は今、広い新しい世界を行く時代に生きている・・・
 互いの引力によって複雑な運動を続ける3つの太陽を視界に捉えた。太陽までの距離は約1光分。すさまじいエネルギーを放出する若い恒星の美しさは、ユリの心を捉えた。
 数分後、恍惚とした表情でシミュレータを出てきたユリに、係員は「してやったり」と言うような表情で微笑した。

 思いがけず選考に通り、父に告げた時、初めは表情を曇らせていた父は最後にはこう言って許してくれた。
「父さんの行けないところへ行って、父さんの見ることのできないものをたくさん見て来い。そしてお前の感動を少しでも分けてくれ。」
 マリアの言葉と重なる。大人になり、独り立ちする。今がその時なのかも知れない。父を置いて、遥か先を目指す時。けれども、自分は本当に、そう望んでいるのだろうか?


「はじめまして。エリザベス=コーンウェルよ。」長身の美女はそう名乗ったが、最終防衛線の女神のことを知らない者はいない。ユリは初めて間近に見る撃墜王の美しさに感嘆していた。
 容姿もさる事ながら、豹のような軽やかで隙の無い身のこなしの美しさ。鋭い眼光は相手の目を射るが、けして不愉快なものではない。その奥底にある物が真摯さと誠実さであるとわかるからだ。ほがらかで大きな笑い声は可憐でさえあった。二人は長いこと話し合った。
「あなたの優秀さは以前から目立っていたの。特に、いつも落ち着いていてアクシデントにもあわてない”本番に強いタイプ”なのがポイント高いわね。他の航空隊からも誘いが来たでしょ。」
「は、いえ。はい・・・」
「私もあなたに来て欲しいと思っている一人よ。もちろん。」エリザベスは微笑んだ。
「あの・・・大尉、実は私、迷っているんです。こうして宇宙を飛んでいることに実感がわかなくて、地球を遠く離れていることが心細くて・・・退役して帰国することも考えています。」
 ああ、とエリザベスは得心した。これまでも多くの例があった。人類が宇宙に出てゆく時代の、共通の苦しみ。地球の重力を恋うる思い。故郷を失って時空の果てで生涯を終えることへの不安と寂寥。多くの優秀な人材が、そうして現場を去っていった。目の前の娘の苦悩が手に取るようにわかった。帰国を決意する事が出来れば、それはそれでよい。けれども、若い心は新しい時代のとば口に立つ自分を痛いほどに認識している。先へ進め、旅立とう、とはげます声と、地球の大地と分かちがたく、帰らねばならないと呻吟する声とが一つの心を切り裂いている。
「申し訳ありません・・・わ、私は・・・そんな、見込んでいただけるような・・・」
 うつむいてすすり泣くユリの背中を、エリザベスは優しくなでてやった。


 金属資源の宝庫発見さる、とのニュースは太陽系を駆け巡り、人々は豊富な資源の獲得に沸いた。
 国連では、資源の採掘と輸送を行うプロジェクトを立ち上げるための協議が続けられていた。莫大な量の資源は、各国の復興とさらなる宇宙進出を約束してくれるだろう。そして早くも、各国政府と企業間の駆け引きが水面下で始まっていた。

2週間後

 特務駆逐艦さくらじまは、引き続き小惑星帯の金属資源の調査を行っていた。来週、無人輸送船あるまげどんがボーリング設備を搬入し、試掘が開始されることになっていた。さくらじまの乗組員達は、試掘に適した小惑星を選び、必要なデータを収集していた。
 さくらじまの当直士官は、早期警戒システムの作動を知って緊張した。急いで旗艦、母船とのリンクを開き、艦内に警戒態勢を敷くと、異常の出た干渉計に注意を集中した。
 数分後、さくらじまから15Kmの至近に国籍不明の巡洋艦がゲートアウト、次の瞬間、さくらじまを大口径ビームの一斉射撃が襲った。
 さくらじまは直ちに回避行動に入った。しかし至近距離からの砲撃によって装甲板は破壊され、艦内ではいくつもの爆発が起こった。
 急を知った僚艦のふぇにっくすが現場に急行する。転移映像可能距離まで接近したふぇにっくすは、大破したさくらじまの無残な姿と国籍不明艦隊の集結を確認した。


 さくらじまを撃った艦は、ハイパー通信で各国に対する通告を発した。

「我々は、大国の横暴と外宇宙資源の収奪に抗議し、かつ・・・・」


 さくらじま攻撃さる、のニュースは船団のみならず、世界中を震撼させた。探査船団に対するテロ行為に、アスカは指揮下の全軍に対し、緊急動員をかけた。各地に散っていた艦艇も、観測・実験を撤収し、続々帰還してくる。第二哨戒航空隊を擁する第二前衛艦隊旗艦、巡洋艦さらまんどるが駆逐艦2隻とともに現場に急行した。
「さくらじまより入電。船体大破、重傷者8名、軽傷者25名。幸い死者は出ませんでしたが、転移機関は使用不能です。通常推進力で遭遇地点を脱出し、内周第4惑星から救出に向かった巡洋艦ふぇにっくすと1時間後にランデブーの予定。」
「第二前衛艦隊旗艦、巡洋艦さらまんどるはヘリオ・アルファ2恒星系に到達、第二哨戒航空隊に緊急出動待機を発令。」
「第三前衛艦隊は船団本隊周辺のアンブッシュを開始。本隊に接近する不明艦を警戒中。」
「よろしい。テロリストどもは?」
「さくらじまからの報告によるとテロリストの主力は巡洋艦3隻、駆逐艦5隻と思われます。現在、出現宙域に静止中です。」
「現場の指揮官に通達。国籍不明艦とは距離を維持するように。叩き潰してやりたい気持ちはわかるけど、連中の背景と意図がまだ分かりません。負傷者の救出・治療を最優先、手出しは禁止。さくらじまの状況は?」
「艦長は、転移機関を修理、自力で帰還すると言っています。」
「必要な資材の供給を確認してちょうだい。でも、艦長には、無理をするな、と厳命しなさい。船なんかいくらでも取り替えが効くんだから。」
「承りました。」

「それにしても、彼らの目的は何でしょうか?」行政職の男性が口をひらいた。
「まったくです。どうして・・・こんな事を?この程度の戦力で武力制圧は不可能。哨戒航空隊1個中隊(16機)で撃滅できます。」パイロット出身の将官があいづちを打つ。
「小惑星をバリケードに利用し、N2兵器をブービートラップ、ピケットラインとして活用すれば、連中がゲリラ戦に長けている場合、我が方もかなりの損害を覚悟しなければなりません。しかし、いずれにしても長期間に渡って宙域を確保するのは不可能です」統合幕僚会議から来た参謀が説明する。一同はうなずいた。
「だれかにそそのかされたんじゃないかしら?」アスカが口を挟んだ。
「どういうことですか?」
「このことを口実に、大国が軍事行動を起こすとすれば?」
「!」
「ヘリオ・アルファ2の時空座標はまだ数える程の人数しか知らないのよ。おかしいと思わない?」
「情報の漏洩については現在も調査中ですが・・・」
「情報を正式に入手できる者の仕業、と言う訳ですか。」行政官がつぶやく。
「極秘で各前衛艦隊に通達を。戦闘準備を命じてください。いやな予感がするわ。」
「承りました。」統合幕僚議長は敬礼して退出した。他のスタッフ達もそれぞれの作業のために散って行った。



 アスカの長女レイコはホワイト・ハウスの呼び出しを受けた。執務室で彼女を迎えたのは、大統領と国務長官、主席補佐官、それに宇宙軍総司令の4名だった。男達はレイコを威圧するように並んでいた。
「諸君、ミス惣流は知っているね。」大統領は一同に呼びかけると、優しい目でレイコに微笑みかけた。
「国連代表部きっての才媛。惣流博士の片腕。」国務長官が上機嫌の声で応えた。
「何か飲み物を。何をお持ちしましょう?」補佐官が慇懃にたずねる。
「冷たいレモンティーをお願いします。」レイコは金髪の巨漢に微笑みかけた。
「さて、事態は極めて憂慮すべき状況となっている。」大統領は表情を引き締めた。
「午前中の連絡で母上は何と?」
「テロ行為に対しては、船団の誰もが憤りを感じています。勿論私どもも、です。船団司令はパトロールの強化と、被害を受けた特務駆逐艦乗組員の救助を命じました。」
「結構。卑劣なテロ活動に対する怒りは、我々も共有している。1時間後の記者会見で、ホワイトハウスは今回の事態に対し、断固たる姿勢で臨む決意を内外にアピールすることになった。」
「それは、アメリカ宇宙軍の動員・派遣を意味するのでしょうか?」
「おっしゃる通り。すでに、冥王星軌道で演習中の第7艦隊主力戦闘集団が空間転移を開始した。」
「失礼ですが、拙速だと思います。理由をお聞かせください。」
「緊急対応だ。安全保障理事会の決定にはあと数日はかかる。早く手を打たねばならない。」
「外宇宙探査船団の前衛艦隊は、相手を圧倒できる攻撃力を保有しております。それほどの緊急性があるとは思えません。」
「事は分秒を争う。ユーラシア共和国が先に現地に到着するような事になってみたまえ。我が国のプレゼンスは・・・」補佐官の発言を、大統領は視線で遮る。
「米軍を動員する事は、他国から既得権益の獲得が目的、と受け止められかねません。」レイコは冷ややかに言い放つ。返答はなかった。
「探査船団には重要な任務がある。つまらぬもめ事に関わりあう事は、惣流司令も本意ではあるまい。」国務長官はレイコを見下ろすように語り掛けた。
「お話の趣旨を理解しかねます。」
「友人として忠告しよう。船団は可及的速やかにヘリオ・アルファ2を離脱する事を勧める。」

「ママの予想が当たったわ。」レイコはアスカに連絡した。
「ユーラシア共和国の宇宙艦隊も、演習域から姿を消したようよ。そちらに向かっていると考えて間違いないわね。」
「政治家って、どうしてこう頭が固いのかしら・・・レイコ、頼みがあるんだけど。」アスカは娘に、ある計画を説明した。
「ホームページに・・・」
「そう。合法的に行えるのは情報提供までですもの。それを最大限に利用するの!」
「わかったわ。相田のおじさんにお願いして、広告代理店とコンタクトします。」
「身辺に気を付けてね。ボディーガードの言いつけを守ること。」
「承りました。」にこりと笑ってレイコは通信を切り、スタッフを招集した。


 数時間後、合衆国、共和国はそれぞれ、宇宙艦隊の派遣を発表した。

「合衆国は今回の暴挙に対し、厳重に抗議するとともに当該宙域からの退去を要求する。なお、要求の履行を確認し、現地の秩序を回復させるために宇宙艦艇の派遣を決定した。」

「合衆国のとろうとする軍事行動は、国連安全保障理事会の意向を無視したものであり、自国を利する利己的行動に他ならない。我が国はかかる謀略的行動を監視し、牽制するをやむを得ざる事態と判断し、高速戦艦を中心とした空間機動部隊を派遣し、紛争地域の安定を図る意向である。」

「これほどの艦隊を1〜2日で動員できるわけがない。あらかじめ準備していた訳ですね。」ジャネットはアスカに言った。
「とんだサル芝居だわ。サルは嫌い」

 3週間後、両国艦隊はヘリオ・アルファ2の小惑星帯に到着、陣形を整え、互いに睨み合う形となった。宙域を占拠していたはずの国籍不明の艦隊は何処かへ姿を消していた。
 事態が、合衆国、共和国の武力衝突の様相を呈して来たことは明らかだった。
 両国は互いに相手の独断専行を非難し合った。2大国の軍事行動は世界中に動揺を与えた。戦争の勃発を予感して株価は乱高下した。マスコミは連日さまざまな見通しを述べたが、人々の不安と焦燥を増幅させただけに終わった。
 地球の混乱は、船団内部にも影響を与えていた。万一、両国が戦端を開いた場合、国連安全保障理事会は船団にPKFオペレーションを命じる可能性がある。安全保障理事会は拒否権によって機能しないはずであり、船団の国連軍将兵が戦う可能性はほとんど無かったが、軍人達はみな極度の緊張を強いられていた。殊に、両国出身の将兵の間には、気まずい空気が流れていた。彼らは協調性や情緒の安定も考慮して選抜された集団であり、みな節度をもって行動していたが、船団の雰囲気は重苦しいものとなった。

「おねえちゃん、お小遣いまわして!」
「お馬鹿!!」これが、半年ぶりの姉妹の会話だった。レイコは溜め息をつくと、キーを打って妹の口座に100クレジット(5千円程度)振り込んでやった。
「もう・・・無駄遣いしちゃ駄目よ。」
「さんくす!」にぱっと笑うマリアの屈託の無い顔にもうひとつ溜め息をつく。
「ママ、まだ司令部だよ。」
「知ってるわ。さっきまで話してたんですもの。今日はあんたに用があるの。」
「何?」
「ママのこと。ママに心配かけちゃだめよ。今、仕事で大変なことになってるんだから。」
「はいはい。」
「真面目に聞きなさい!」レイコは言葉を荒げた。
「なんだよ、いっつも偉そうに、何でも判ってるような顔して、自分だけいい子になって、・・・あたしだって、毎日色々あるのに・・・あたしだって・・・おねえちゃんあたしの気持ちなんか!」
「マリア?」
「”司令の娘”、周りの人達がいつも特別な目で見てる事くらいあたしにだってわかる。ママに迷惑かけないように、周りの人達が望むように振る舞ってるわ。いつも。おねえちゃんだけが苦労してる訳じゃ無い!」
「マリア・・・」
「そりゃ、訓練センターに侵入したのはまずかったけどさ、ハッキングしようとしてやったわけじゃないんだよ、それに・・・」
「ちょっとお、あんたそんな事やらかしたの?」
「い!?ママから聞いて小言を言いに来たんじゃなかったの?」
「バカ!ちがうわよ。ママがそんな事いちいち私に言うわけないでしょ!」
「げ!・・・・ヤブヘビってやつ?・・・」
「あんたが文無しになった訳がわかったわ・・・」レイコは天井をあおいで気まずい雰囲気を振り払った。
「そんな事じゃ無くて、ママは今マジに大変なの。守秘義務があるから訳は言えないけど、困難な事態が起こって、とてもつらい立場に立たされているの。だから、ママをお願い。私は地球で祈ることしかできない。頼りはあんただけなの!」
「おねえちゃん・・・」
「たのむよ・・・」
「うん・・・おねえちゃん、さっきはごめんね。」
「ううん、あたしこそ・・・」


 翌朝、目覚めたアスカがキッチンに下りると、マリアが朝食を用意していた。
「おはよう。ママ」
「あれ?今朝はあたしの当番だったんじゃ?」
「早く起きちゃったから。」マリアが笑った。
 薄くスライスしたフランスパンはカリカリにトーストされ、ほうれん草のサラダがボウルに盛られていた。別の皿にはキツネ色のベーコンとカットしたトマトが載せられ、コーヒーメーカーが香しい湯気をたてている。
「いい匂い。」アスカはうっとりと目を閉じる。
 アスカが席につくと、マリアは熱したフライパンに溶いた卵を流しいれ、スクランブル・エッグを作りはじめた。
「うまいものね。」アスカは目を細める。
「OK、出来たよ」マリアは卵をベーコンの皿に盛り付けた。
「ふわふわのスクランブル、おいしそう。」
「うん。おばあちゃんの直伝。」マリアが微笑む。
 アスカはトーストですくって口にはこぶ。「おいし。」
「・・・おばあちゃんに教われたのは、これだけ。」マリアはぽつんとつぶやいた。
「もっと、長生きしていただきたかった・・・」アスカがうなずいた。
「でも、おねえちゃんがレシピを作ってくれたから、他にも色々作れるんだよ。今夜はミートローフを作ってあげる。」
「レイコから、何か言ってきたの?」
「ううん。あたしの気まぐれ。」
「・・・ありがと。マリアに甘えるわ。」
「うん!」母娘は笑いながら朝食をとった。
「ねえ、パパとおにいちゃん、来週帰ってくるんだよね。」
「ええ。新しい転移機関の試験運用もだいたい片付いたみたいね。」
「そしたら、久しぶりに賑やかになるね!」マリアが笑った。
「スケールの大きな一家離散よね。何十万光年も飛び散って。」アスカも笑った。


 災厄は、突然やって来た。合衆国第7艦隊の前衛と共和国の前衛が接触、指揮官の不注意からピケットラインを逸脱した共和国駆逐艦に対する合衆国フリゲート艦の威嚇射撃が装甲を損傷した。両国前衛は戦闘状態に陥った。
「がってむ!」アスカは歯ぎしりする。
「司令、巡洋艦ふぇにっくすから入電しました。」
 スクリーンに現われた艦長のスミス大佐は、40代始めの経験豊かな指揮官だった。がっしりした体躯と、無骨な風貌は一見すると近寄りがたい印象を与える。「司令、現場指揮官として、緊急作戦を具申いたします!」艦長は何か期する所のある表情で敬礼した。
「本艦をもって両国衝突宙域に突入、双方の攻撃を自ら盾となって阻止いたします。」
「あんぽんたん、何言ってるのよ。そんな無茶は許しません!!」アスカは怒鳴った。
「しかし、我々は見ました。ここの豊かな鉱物資源は間違いなく人類の復興を助けます。それが・・・戦争の火種になるなど・・・我々は、我々には耐えられません!」
「本艦乗員全員、腹を決めました。」副長のタオ少佐が後を引き取った。
「許可しません!」
「司令、この貴重な資源を、人類の未来を救ってください。お願いします。我々が時間を稼ぐ間に、司令なら、・・・・司令、どうか・・・」無骨者のスミスが泣いているのにアスカは気付いた。
「艦長・・・」アスカは絶句する。誰も言葉を発しなかった。長い時間が流れたように感じられた。実際は一瞬の出来事だったかも知れなかった。アスカは苦渋の決断を下した。
「わかりました。艦長、作戦を決行しなさい・・・」相手の目を見据えて下命する。「了解!」血を吐くようなアスカの言葉を、スミスは微笑んで受けた。
 巡洋艦ふぇにっくすは、両国前衛の中間点へのゲートアウトを強行した。双方の砲撃を浴び、装甲が吹き飛ぶ。バランサーが機能停止し、船体は大きく傾いた。「皆、生きとるか?」艦橋でスミス艦長が叫ぶ。まもなく、艦内各部からの無事を知らせる連絡が届いた。艦長は不敵に笑った。
「よし、命があればめっけものだ。あとは司令がなんとかしてくれる。艦内の損傷修復急げ!」スミスは指揮台に腰掛け、装甲宇宙服のヘルメットを開けるとタバコに火を点けた。
「艦長、ブリッジは禁煙です。」若い女性士官が声をかけた。
「お約束、だな。」スミスは笑った。

 両国艦隊はふぇにっくすの出現に驚愕した。ふぇにっくすからは、転移機関の故障、航行不能、と言う救難信号が通常通信とハイパーウエーブで発信された。事故を口実にされてはどうしようも無かった。やむなく両国は攻撃を中止し、ふぇにっくすを挟んでにらみ合う事になった。

 一刻の猶予もならなかった。ただちに地球のレイコに連絡をとった。
「”あれ”は?」
「あと2〜3日はかかります。経済モデルの計算がまだ収束しないの。」
「今日中にUPしないと間に合わないわ。どっかに遊んでるスーパーコンピュータが無いかしら?・・・よし、母船アルファの中枢を止めてこっちでも計算させましょう。」
「それなら、あと5時間くらいね。でも、大丈夫?」
「サブコンで都市機能だけはなんとか維持できる。あとは、第一前衛艦隊の旗艦に搭載してある補助指揮システムでまかなうわ。一部の公共サービスが停止するけど、理解してもらう。」
 大手広告代理店、ハリウッドの一流映像プロダクション、そして国際的な経済シンクタンクが参加し、昼夜を問わず準備作業が進められて来たプロジェクトは、最後の仕上げにはいった。

 アスカはロイターの相田ケンスケを呼び出した。
「君たち母子は、いったい何を企んでるんだ?」ケンスケは笑った。
「ケンスケの力を借りたいの。」
「?」
「現在、各国の第一線で活躍しているジャーナリスト、ニュース・キャスターのメール・アドレスを全部教えて欲しいのよ。」
「・・・おもしろそうだな・・・」


 数時間後、地球の自転につれて、世界各国のアンカーマン:最終版ニュースのキャスター達は、視聴者に呼びかけはじめた。
「番組をご覧の皆さん、宇宙の果てで、大国の覇権を巡る戦争が勃発しようとしています。私達人類は、大きな決断を迫られているのです。我々は、未来を選択しなければなりません。一人一人が決断しなければならないのです。外宇宙探査船団・母船アルファのホームページに掲載されたメッセージをご覧ください。アドレスは、画面に出ているはずです。」
 アルファから発信された情報は、まず、二度のインパクトによってもたらされた荒廃を語った。懸命の復興作業が世界中で今なお継続中である現実を説き、その中から力を振り絞るようにして宇宙への旅に漕ぎ出した人類の求める希望を訴える。
 今回発見された無尽蔵といってよい資源が、地球の復興を助け、さらに、大きく発展させてゆく様子が語られる。ただしそれは、前半のようなイモーショナルな映像とメッセージではなく、シンクタンクがコスト、リスク、市場動向を綿密に検証した試算表だった。恣意を含まないデータは、しかしどのような言葉よりも雄弁に、戦争の愚かさと逼迫した現在の経済状況、国際協力の必要性を訴えていた。

 地球の自転に従い、アルファのホームページへのアクセスはうなぎ昇りに増加していった。
 国際世論は、初め小さなさざ波をたて、それは次第に大きなうねりとなっていった。各国マスコミは、アスカの提示したテーマをさまざまな形で取り上げ続けた。殊に、二つの大国では政府の対応に対する批判が噴出していた。


 貧しかった国々は豊かに、大国もますます大きく豊かに欲しい者が、好きなだけ取ればよい。争いは無意味だ。


 その日のうちに、そのようなプラカードが市街地をねり歩くようになった。


「くそっ!」大統領補佐官は、テーブルを殴りつけた。
「惣流を解任して逮捕しろ!」
「どんな罪状で?彼女は違法な事は何一つしていない。」FBI長官は窓の外を眺めながら言った。
「国連事務局及び安保理は、惣流司令を支持するそうだ。事務総長め、”我々が最も恐れるのは、人々の目に国連が理念なき集団であると映ることだ”と言いおった。」大統領は顔をしかめた。
「私は、彼女が正しいのではないかと思い始めましたよ。」国務長官は大統領を見据えた。
「第7艦隊より、緊急連絡です。」インター・カムが鳴った。


 アスカは確かな手応えを感じた。しかし、時間がない。ペンタゴンの情報源によれば、合衆国第7艦隊では、一部の強硬論者が指揮下の部隊を煽動する気配があった。おそらく共和国側も同様だろう。そして、探査船団の将兵達に関しても、そうした懸念が無いとは言えなかった。

 20名ほどの合衆国出身の将校が、強引にアスカへの面会を求めてきた。彼らの極度に緊張した様子に、彼女は危惧していた事態が発生したことを知った。
「開戦は不可避、との情報を得ました。」
「本籍に戻らせてください。」
「我々の原隊復帰をお認め願います。」
「許可できない。」
「ならば・・・」
「ならば?」先頭の将校は、ホルスターに手をかけた。やれやれ、と言った様子でアスカは話し始めた。
「君たちの考え方は、二重に誤っている。まず、本籍云々と言うが、現在の君たちの身分は国連宇宙軍の兵士だ。2011年の国連軍再編成のおりに各国で結ばれた条約により、国連軍兵士は各国軍を退役し、国連軍に入隊しているのよ。国連軍を辞めた時、もといた国軍に優先的に再入隊出来て勤務年数を合算して年金が支払われるけれどね。したがって君たちが行おうとしている事は原隊復帰ではなく脱走です。」一同はたじろいだ。
「し、しかし、我々が艦隊に向かえば、彼らは受け入れてくれるはずだ。そう、再入隊させてくれる!」
「第七艦隊の提督はそんなに愚かな人ではないと思うわ。今度の事件には世界中の関心が集まっています。合衆国は事態の収拾を行うことでこの件の主導権を握りたいハラだから、この船団とトラブって国際世論を刺激する事は避けるでしょう。あなたたちが脱走しても、けして受け入れてくれない。そんな事をしたらマスコミから艦隊行動を海賊行為と非難されるわ。大統領は中間選挙を乗り切れないでしょうね。」もう、反駁する者はいなかった。
「それに、もっと重要な事があります。今回の紛争は、新しい事態に適応できない古い人々が引き起こしました。現場には、無尽蔵の資源が眠っています。各国が自由に採掘したとしても、取り尽くすには100年はかかるでしょう。紛争を起こしてお互いに国力を疲弊させていている暇はないの。地球はまだ復興の途上にあるのよ!」一同は、黙ってアスカの言葉を聞いていた。
「・・・今、不幸にも戦端が開かれようとしています。かろうじてそれを押し止めているのは、我が船団の艦艇です。巡洋艦ふぇにっくすは危険を犯して両国艦隊の間に割って入り、戦闘をぎりぎりの所で食い止めています。あたしは彼らを救わなければなりません。力を貸してちょうだい。」
「我々が愚かでした・・・」将校達は、深々と頭を垂れた。


同時刻

 訓練後、エリザベスから食事に誘われたユリは、司令部のガン・ルームでコーヒーを注文すると、明日の訓練計画書をめくって時間を潰していた。
 約束の時間を2〜3分過ぎた頃、血相を変えたエリザベスが部屋に飛び込んで来た。髪の毛が逆立ち、口元は厳しく結ばれている。
「碇さん、ごめん!」ユリを見つけるのと部屋の外に飛び出すのとがほとんど同時だった。ずきん、と胸に圧迫を感じた。何か良くないことが起こったのだ。そしてそれは、アスカの身の上に起こったに違いない。
 アスカの執務室に近づいたエリザベスは、ユリが自分を追ってくるのに気づいた。
「君は来るな!撃ち合いになるかも知れん。」彼女の手には拳銃が握られていた。
「いえ、お、お供します。」
「死ぬよ!」
「でも!」
 ドアの前に来た。銃を構えたエリザベスが飛び込む。

「大尉、銃をしまいなさい。」二人を睨み付けたアスカは命じた。
「は。ご無事で・・・」
「あたり前でしょ。でも、いい所に来てくれたわ。運転手をたのめるかしら?」
「は!?」
「ふぇにっくすを助けに行くの。」

 38式超光速連絡艇は、転移機関を搭載した最小の宇宙船である。ワルキューレより僅かに大きい機体ながら、数万光年を一挙に飛ぶ航続距離と速度を誇る。船団には100機程が装備されており、広大な空間に散って作業を行っている観測スタッフ、研究者の緊急の足として活躍していた。
 アスカがこの機体を選らんだのは、その小ささと武装を持たないことが広く知れ渡っている為だった。
「どうか、ご無事で。」
「スミス達を、お願いします。」
「戦争を止めてください。」
 船団の人々の願いと共に、連絡艇は発進した。

 パイロットシートにはエリザベスが着き、機関士席にはユリがいた。どうしても付いて行く、と言ってきかなかったのだ。エリザベスも口添えし、アスカは根負けして同行を許可した。
 転移機関のプログラミングを完了し、機関を始動させる。連絡艇は自らが発生させた時空のひずみの中を落下していった。通常空間に出るのは数時間後の予定である。航法システムを自動にセットし、二人はひと休みした。
「地球のご家族は?」エリザベスはユリに尋ねた。
「父がおります。」
「やさしいお父様?」
「はい。」緊張していたユリの口元が微かに緩む。
「帰る所がある、っていいわね。迎えてくれる人がいて、ゆっくり眠れる部屋が待っている。私には無いの。」ユリは相手の顔を見た。
「私の両親と兄はオリオンで亡くなったの。たまたま別の船に乗っていた私だけが生き残った。12の時だったわ。」エリザベスはコーヒーをかき回す。
「私にとっては必ずしもいい両親じゃなかった。仕事にかまけて。でも、もういないの。私、ふたりに何もしてやれない。」ユリは黙って話を聞いていた。
「ごめんね。変な話しちゃった。」エリザベスはユリに笑顔を向けた。
「いえ。」
「碇さん、」エリザベスは言った。
「兵士の役目は何だと思う?」
「戦うこと・・・」
「半分外れ。殺すことよ。人を。」
「え」
「命令で人を殺すのが兵士の役目。」エリザベスは真顔になる。
「そ、それは・・・」
「どうして、そんな事が出来ると思う?」ユリはエリザベスの言葉を待った。
「答えは簡単。命を投げ出しても守りたいものがあるからよ。両親はもういない。地球に私の帰る家は無い。でも、私の帰る家はこの船団の中にあるの。亭主と子供達がね。」
「大尉・・・」


 アスカの乗る連絡艇は、戦闘宙域に到着した。彼女は、電磁誘導を利用して艦船の通信機器のスピーカーを直接振動させる強制放送で呼びかけた。
「私は、外宇宙探査船団司令、惣流=アスカ=ラングレーです。喧嘩はやめなさい。諸君らの目の前には、人類を何百年にも渡って発展させる事の出来る膨大な資源がある。無意味な主導権争いをしている閑があったら、掘り出して地球に運びなさい!」
 アスカは通常通信とハイパーウエーブも使用して停戦と撤退を呼びかけ続けた。

 両軍は、沈黙を続けた。重苦しい数時間が過ぎた。

「高速接近する飛行物体!」ユリが叫ぶ。「数、3。まずい、ロック・オンされた。攻撃してくる。」
「回避する。」エリザベスは操縦かんを倒した。
「ECM全開。ロック・オン解除」ユリもコンソールに指を走らせる。二人の息の合った操縦は、相手の照準を巧みにかわす。しかし、速度と運動性に勝る相手をいつまでもは翻弄できない。
「再度、ロック・オンされた!」ユリが叫ぶ。
「これまで、か・・・」アスカはスクリーンに映る戦闘艇を見つめた。
  攻撃は行われなかった。アスカの連絡艇に突撃した戦闘艇は接近する別の艦によって撃破された。

 合衆国第7艦隊旗艦、戦艦エンタープライズが闇の中からゆっくりとその巨体を現した。戦艦は艦橋に休戦降伏信号を掲げている。そして、アスカ達から数百メートルの位置で停止した。
「艦隊司令がお目にかかります。ご乗艦ください。」戦艦の航空甲板が開いた。

「これをつけて。」接舷作業に入る前、エリザベスはユリとアスカにボディー・スーツのような防弾衣を手渡した。軍服の下に着込むための、体の動きを損なわないタイプだ。ユリの背筋に緊張が走った。
「碇少尉、銃を点検しろ。弾薬は対装甲弾。予備弾倉を忘れるな。」エリザベスの口調も厳しい。

 艦内に入った3人は、案内に従って通路を移動した。
「今の所OKね。提督の執務室に向かっているわ。」エリザベスはそう言いながらユリに目配せした。
「!?」ユリが近づくと、彼女はささやいた。
「銃が狙っている。私が盾になる。君が撃て。」
「盾には私が・・・私もアーマーを付けてます。」
「私の方が慣れている。それより、撃てる?相手は死ぬよ。殺せる?」
「・・・はい。撃てます。」ユリはきっぱりと答えた。
「司令を死なせるわけにはゆきません。守ります、命に代えても・・・」
 次の瞬間、エリザベスはアスカとユリを抱えるようにして通路と部屋への出入り口との間の窪みに二人を押し付け、同時にユリは銃を抜きトリガーを引いた。
 いくつかの銃声が重なり、物陰に隠れていた将校がくず折れた。憲兵隊を率いた将官が姿を現し、3人に向かって両手を挙げた。
「私が司令官のコーンウォリスです。」
「はじめまして。惣流です。」アスカは会釈した。
「艦隊内部でごたごたがおきまして・・・」コーンウォリス提督は恥じ入っていた。アスカは何も尋ねなかった。
「申し訳ない。すでに本艦隊は撤退を開始しております。ご安心ください。」

 提督は、一同を執務室に案内した。意外なことに、そこには共和国が派遣した艦隊の司令官、チャン提督の姿があった。
「我が国の世論も沸騰し、大勢が決した事を悟りました。大儀名分を失った戦闘で指揮下の将兵を死なせるわけにはゆきません。撤退に同意します。」挨拶に代えて、チャンは来訪の理由を語った。
「”合衆国は、最も強い国家である前に、人類の理想を体現する国家でなくてはならない。”大統領からの伝言です。」コーンウォリスは敬礼した。
「・・・惣流司令の訴えは、私の胸も打ちました。」チャンもアスカに敬礼した。
 アスカも二人に敬礼した。彼らは何も言わない。けれども、彼女はこの撤退が彼らの尽力によるものである事を察していた。それぞれの元首に反抗し、軍法会議を覚悟で決断を迫ったのだろう。おそらく軍を去るつもりだ。
 それぞれの国の元首達に、諌言を容れる度量が残っていたことにもアスカは感謝した。ほっとする思いだった。

 合衆国、共和国双方の宇宙艦隊は、太陽系に帰還していった。

 アスカは、合衆国と共和国の面子を立てるために国籍不明艦隊の逃走を彼らの功績と賞賛し、あわせて両国艦隊の迅速な行動と”引き際の見事さ”を大いに多としている、との談話を発表した。両国政府は互いに相手国の行為を賞賛する記者会見を開いて事態の収拾を内外に強調した。
 国籍不明艦隊については、あえて詮索はおこなわれなかった。

「ユリちゃん、ご苦労さま。」アスカがさくらじま、ふぇにっくすの乗員を慰労したあと、帰りの連絡艇の中で三人はコーヒーで乾杯した。
「いいえ、私なんか・・・それより、ふぇにっくすの皆さんの勇気、両提督の立派な態度、感動しました。」
「皆、立派な人達。個人の良心と政治とを一致させる事が出来ればいいのだけど。」
「皆がおばさまを信じたから・・・おばさまって、すごいです。」ユリは言った。
「・・・無尽蔵の資源が人々の欲望を一時的に麻痺させただけ。乏しい資源を奪い合う争いはこれからも続くでしょう。それに、彼らが素直に撤退したのは、わが船団の戦闘力を恐れたからでもあるの。人間は、まだまだ楽園には辿り着けない。」
「司令・・・」エリザベスは歩む道の険しさを思った。

 第4惑星の探査のために、巡洋艦ふぇにっくすはヘリオ・アルファ2恒星系にいましばらく留まる事になった。数ヶ月後に、国連宇宙艦隊の艦艇に護衛された採掘船団が到着し、来年中には豊富な金属資源を地球にもたらすだろう。採掘と輸送のコストは各国が分担し、出来る限りの低価格で必要とする人に提供される事になった。
 とは言え、コストの分担方法、価格設定、最終的にこの事業を誰が運営してゆくかについては、依然各国の利害の調整を必要とした。すべてが、うまく行くとは限らない。今はただ、人類が胸に抱くことの出来た希望と理想に期待するしか無かった。

(つづく)

*初出:99/04/03 NIFTY-SERVE FANCREATE MES15


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