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　第３次外宇宙探査隊は、研究職・技術職あわせて１５０００名、行政職２０００名、企業からの出向者１００００名、そして軍人１００００名からなる。これに隊員の家族１５０００名弱をあわせ、合計約５００００名の人々が宇宙を旅している。船団は国連直轄特別行政区に指定され、小さな都市として機能していた。

　探査隊に参加する宇宙軍将兵の任務は、船団の航行管理及び航路の安全確保である。母船と周囲に展開する支援艦艇は、国連宇宙艦隊に所属している。
　初めて外宇宙探査航海が企画された２０２９年、探査委員会は国連安全保障委員会の議決を受け、探査航海における安全保障のためのスキームを作成した。スキームは３つに別れ、ひとつは船団構成員に適用される法規制の体系と執行機関について、ふたつ目は地球外知的生命体と遭遇した場合の接触手順と外交関係締結の為のプロト・コール、そして、船団が敵対的な存在と遭遇した場合の対応体制についてである。アスカは国連宇宙軍分遣隊司令官を兼務していた。

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　第一前衛艦隊の旗艦、巡洋艦おんでぃーぬは、指揮下の艦艇とともに母船アルファの航路前方１０万キロメートル宙域を遊弋し、航路の安全を確保するためのパトロールと観測を実施していた。
　航空甲板の発進ゲートが開き、巨人の腕のような無重力カタパルトが艦外にせり出す。その先端には、ライトグリーンに塗装された機体が固定されていた。大気中の飛行のためリフティング・ボディとして設計された優美なシルエット、高出力を誇る大型エンジン、その姿には、技術の粋を集めた美しさがあった。
　機動兵器。それは、数年前から開発・製造が開始された大気圏・宇宙空間併用型戦闘艇である。巡洋艦クラスの火力と従来の宇宙戦闘艇を遥かに凌ぐ速度、運動性能を持ち、宇宙における艦隊戦闘の主導権を握るべく開発された。全長２５ｍ・全幅１０ｍ、猛禽類の飛翔を連想させる機体はワグナーのオペラに登場する戦乙女の名を取り、「ワルキューレ」と命名された。
　ワルキューレはエンジンに火を点し、次の瞬間には宙にのびたカタパルトの細い腕だけが残った。

　おんでぃーぬの艦橋にははりつめた空気が流れていた。司令部スタッフによる監査が行われていたからだ。監査は予告無く乗船してきた監査官達によって突如開始される。艦隊司令に訓令が伝達されると同時に指揮システムに想定演習シナリオが伝送され、艦隊スタッフは対応を開始するルールになっていた。シナリオは要撃、救助、その他多岐にわたり、対応中の艦隊各員の行動は徹底的に記録・評定される。与えられたシナリオに対し、的確な対応が誤りなく行われたかどうかが厳しくチェックされ、結果は関係者の将来を大きく左右することも多かった。
　船団の守護神の名にかけて、おんでぃーぬのスタッフ達はプレッシャーをものともせずに沈着冷静に対応していた。開始からきっかり２０秒後、スクランブル待機していた１５機の機動兵器が航空甲板を離れ、同時に艦隊は緊急配備を完了した。
　防空要員、救難スタッフはすでに配置につき、待機室に控えていたＡクラス・スタンバイのパイロット達もまもなく発進準備を終えるだろう。艦内各部に散って記録をとっていた監査スタッフも満足のため息をもらした。

「緊急配備完了、第一次要撃遂行しました。」艦隊指揮官の菱沼大佐は監査責任者の方を向いて敬礼する。その誇らしく輝く瞳に監察部第一課長の高屋少佐はにっこり微笑んだ。
「本時刻をもって第９８次監査を終了します。ありがとうございました。指揮官、撤収命令をお願いいたします。」
「了解。」この瞬間から、高屋は監査官から本来の階級に戻る。
　隊長機の指揮システムに帰投命令が表示され、すぐに全機に通達された。おんでぃーぬの艦橋スクリーンに接近する編隊が表示される。最大戦闘速度ではその動きを肉眼で追うことは不可能だが、速度を落し、翼をひらめかせながら艦に接近してくる姿は妖精のように軽やかで優雅だった。
「最新鋭機動兵器、ワルキューレ。オーディンに仕える天女か・・・美しい姿だな、ノリコ君。わが船団の守護天使だよ。」
「はい。そして・・・」
「うん。司令の心配の種だ。」


　執務室の奥にある私室から出てきたアスカは国連宇宙軍の略装だった。カーキ・イエローのジャケットはウエストまでの丈で、スカートはミニ丈のタイト、すんなりした長い足は９センチのヒールの上に乗っている。ジャケットの下はライトグレーのブラウスに黒いネクタイ・・・司令部秘書のジャネットは上司のこの出で立ちを見るたび、スズメバチの出撃を思い浮かべる。
「許せないわね、その足そのウエスト。」彼女のからかいに応えてアスカはニヤリ笑いを浮かべると指でＶサインを作った。
「アスカ、頑張って」閉まるドアに向かってジャネットはつぶやく。
　アスカが軍服で現れる時、会議のメンバーは一様に緊張する。彼女が”戦闘モード”に入っている事を経験上知っていたからだ。彼女に初めて会う人は、精力的な仕事ぶりに敬服し、機知に富む快活さに魅了されるだろう。だが、アスカをよく知る人々は、彼女がきわめて攻撃的な人間である事をも理解していた。他人との協調や気配りは長い間の経験で身につけてはいたが、幼い頃からの行動パターンを完全に変えることはできなかった。ただし、今では彼女が牙をむき相手に襲い掛かるのは降りかかる妨害や策謀を排除する必要に迫られた場合に限られていたが。
　着席すると同時に一同をじろりと見回すと、彼女は前方の軍服姿の男にうなずいてみせた。各自のコンソールに書類がダウンロードされると、彼は提案書を説明しはじめた。議題は、今回の探査航海で初めて艦艇に搭載された、新型機動兵器・ワルキューレを使用した大規模演習計画であった。
　アスカは、個人的にはワルキューレが好きであった。”スターゲートジェネレータ”の発明者である彼女は２０代の頃から宇宙を飛んでおり、小型宇宙艇を自ら駆って危険に立ち向かった事も一度ならずあった。その時の経験から、強力な加速と柔軟な運動性能を持ち、単独での大気圏突入も可能なワルキューレは夢の機体であると言えた。
　問題は、これが兵器である、と言うことなのだ。アスカが宇宙で闘ったのは、自然の理不尽な力から仲間を守るためであって、他人を傷つけるためではない。実戦でワルキューレが発進する時、その砲口はどこに向くのか？宇宙開発の利権：航路上の拠点や鉱物資源を巡る国家間の紛争は、いつ勃発してもおかしくない情勢だった。ましてこの外宇宙探査船団が新兵器のテスト場となり、紛争の火種となる事など、けしてあってはならない事なのだ。

「以上が、今回の機動兵器運用訓練の概要であります。」アニメーションと図表を多用した提案書の説明が終わった。このプレゼンはおそらくＴ重工のスタッフ達の力作だろう。アスカは思った。起案者のホプキンス少将がＴ重工に取り込まれていることは出発前から調査済みだった。
　説明を終えたホプキンスは満足だった。この演習計画は大規模かつ実戦的なものだ。自分達統幕会議のスタッフが運営の中心となるだろう。お飾りの中将殿の出る幕はない。彼は軍の指揮権までも手にしている船団司令が邪魔だった。
「議長、」アスカは発言許可を求めた。
「戦技研究班による評価演習はまあよいとして、前衛艦隊による模擬艦隊戦闘演習、司令部直衛航空隊による要撃演習、機動攻撃訓練、戦術戦闘訓練とすべて艦隊決戦を想定したシナリオとなっているが、あまり感心しない。航路確保、救急救命のシナリオをどうして入れなかったの？それに国連対Ｅ．Ｔ．委員会の提出したレポートの内容がまったく盛り込まれていないのも問題ね。」
「今回の訓練は、その、対テロ活動を主眼とした内容に絞りました。宇宙開発の利権を巡る紛争への対応は目下の急務であります。」
「対テロの要諦は情報収集と予防だと僕は思いますがね。ドンパチが始まりゃ対応も何もありませんよ。」執行機関（警察）関係者が口をはさんだ。
「戦闘部隊による強襲も、テロの手段の一つです。」ホプキンスはぐっと胸をそらして若い官僚をねめつけた。
「ふーむ。この船団は宇宙軍の攻撃力の約１割を保有しているのよ。それが必要な武装かどうかはさておき、」言いながらアスカはオブザーバー席の企業関係者達に微笑みかけた。微笑まれた方は体が竦む思いだったろうが。
「将軍の所にはこちらを凌ぐ規模の戦闘集団がわが船団を攻撃してくる可能性についてなにか情報がお有りなのかしら？」話しながら、アスカはホプキンスのコンソールにメッセージを割り込ませる。
　”それとも、Ｔ重工が入り込んでいるＱ共和国が小惑星開発の利権を巡ってＭ興産のＫ王国とキナ臭くなっているから早くＴ２ラムジェットミサイルのデータと売り込み映像が欲しいのかな？”添付されたデータを開くと、彼の隠し口座の出納記録やＴ重工関係者との会食現場の写真、株式のインサイダー取り引きを示す売買請け書等が出てきた。ホプキンスの顔色が変わった。
「わが船団の安全を確保し、観測や探検を支援するための訓練よりも、人間同志の殺し合いの練習を優先させる理由がどうしても理解できないの。」
「・・・・・・」
「戦闘訓練は戦技研究班による評価演習のみとし、航路パトロールと救難活動をシナリオに加えて再検討する事を提案します。」

　会議の後、自室に戻ったホプキンスは激昂のために顔面を真っ赤に紅潮させ、デスクを激しく蹴りあげた。彼の提案は却下され、演習計画は司令部内のプロジェクトチーム主導で航路の安全確保と救助活動に主眼を置いてシナリオを大幅に修正することになった。ホプキンスの失脚は誰の目にも明らかだった。
　彼を後押ししていたＴ重工の足立部長も、アスカからのメールで贈収賄の摘発をほのめかされ、同時にラムジェットミサイルの発射訓練を別計画で実施（きわめて小規模なものだが）する、と落とし所を抱き合わせて提案されると一転してアスカのプランに賛意を表し、ホプキンスは乗った梯子をいきなり外された格好となった。
「赤毛の独裁者め・・・このままで済むと思うな！」しかし今の所机を蹴り続ける以外に、この男に出来ることはなかった。


　執務室にもどると、ジャネット達が紅茶とスイートポテトで祝ってくれた。
　今回の演習計画に、船団の主導権を握ろうとする一部の制服組の思惑が見え隠れしているのを察知したアスカは、スタッフに命じて制服組の気勢をくじき、彼らを弱体化する口実を探していた。
　宇宙軍の装備はすでに大きな利権となっている。探査航海に参加した企業からの出向者のうち約２０００名程は軍需産業から派遣された技術者である。彼らの役目は一応艦艇と配備されている兵器類の保守作業を支援する業務と言うことになっている。しかしその実態は、探査航海を自社の利益に結びつけようとするロビー活動に他ならなかった。配備されている他社製品の情報収集、現場指揮官の抱き込み、等々・・・演習に事寄せた新製品の売り込みなどは毎度の事だった。
　アスカも、今更制服と業者の癒着を一掃できるとは思っていない。だが、企業が抱き込んだ軍人を介して提案してくる企画の裏の意図を探り、意志決定に支障をきたす程にスポイルされたスタッフを特定して除去しなければならなかった。この船団は探査と研究のための船団であって、将軍達の再就職のためにあるわけではない。その事を理解できない連中には時々思い知らせてやる必要があった。ホプキンスを切ることは、事前に地球の艦隊本部に根回ししてあるので軍人達の抵抗は少ないだろう

　デスクの端末に、個人宛メールが届いていた。アスカに直接メールを送れる者は家族を初め数えるほどしかいない。アイコンはキャタピラを廻して発砲するずんぐりした戦車のＣＧだった。 　『問い合わせのあったハセガワ製１／４８ミグ戦闘機の発売時期がわかりました・・・・長ったらしい手紙には細々としたプラモデルのうんちくが書き連ねてあったが、それを読むアスカの表情は硬かった。ロイターの主筆を務め、世界中のジャーナリスト達に情報網を持つ相田ケンスケがアスカに緊急事態を知らせる時に取り決めた二人の間だけで通じる暗号だったからだ。
　『多数の企業にＡ１０神経接続機器を発注していたダミーの正体をほぼ突き止めた。それは西ヨーロッパの小国の政府と思われ、背後にはいくつかの多国籍企業の関係者の名前がある。また、この国は軍用艦と思われる大型宇宙船を極秘で建造したとの情報もあり、・・・』
　きっかけは、出発前に友人からもたらされた情報だった。最近いくつかの兵器産業が、相次いでＡ１０神経接続系の開発を行っていると言う。エヴァンゲリオンは未だ各国の安全保障上の脅威である。補完空間の崩壊と共にすべてのエヴァは地球上から消滅したはずであった。にも関わらず今日では用途を失ったはずのＡ１０神経接続技術を何者かが欲しがっている。そのことにもアスカは神経を尖らせていた。


　ワシントンのオフィスで、アスカの長女レイコは膨大な書類と挌闘していた。探査航海の間、地球で留守を守る彼女は世界中の研究者、政治家、企業関係者達からの問い合わせや私信をさばき、その中からアスカの指示を仰ぐべき優先課題をよりわけて、他の惑星もふくめた世界中に散らばる人々と連絡を取り、アスカの意向をつたえ、また報告すべき情報をとりまとめ、必要としている人々のためにアスカの貴重な時間を確保する仕事に忙殺されていた。サポートする大勢のスタッフが忙しく働いていたが、実の娘、と言う特別な立場ゆえに、微妙な、神経を使う案件はすべて彼女のもとにまわって来た。若年にも関わらずレイコはその重責によく耐え、彼女の有能さと誠実な仕事ぶりは関係者の等しく認めるところとなり、人々は敬愛の気持ちをこめて、彼女を「ザ・セカンド」と呼んでいた。
　時刻はもう、午前一時に近かった。最後の書類にサインしてウインドウを閉じると、レイコは大きく息を吐き出して背伸びをした。オフィスは３交代、２４時間体制で運営されていた。地球の裏側から、外宇宙から、緊急を要する情報がいつ到着するか知れなかったからだ。レイコは基本的には日中の勤務であったが、トラブルや重要案件の時には昼夜を問わず呼び出されるため、数日間にわたって事務所に泊り込む事も多かった。

　レイコの家には朝早くからバターや砂糖のこげるかぐわしくも甘い香りが充満していた。およそ一月ぶりで休みをとることのできた彼女は広いキッチンで忙しそうに立ち働いていた。好きな歌をハミングし、その足取りはうきうきと軽かった。
　仕込んでおいたプレッツエルとパイの生地を手際良く打ち、オーブンで焼く。その間にリンゴを切って鍋にかけ、卵を黄身と卵白に分けてホイップした。メレンゲに砂糖を入れ、別に泡立てた卵黄、ふるった薄力粉をあわせてスポンジケーキの生地ができあがると暖めておいた別のオーブンに入れた。
　粗熱のとれたパイ生地のタルト台にリンゴを載せ、煮汁とリキュールで作ったソースを流してオーブンに戻した。
　お昼になる頃には、食卓の上には１０種類以上のお菓子が所狭しとならべられ、レイコは合間に作ったサンドイッチをかじりながら、それらを満足そうにながめていた。

　小さな車を運転して、レイコは丘の上の公園にむかった。門をくぐるとすでに幾人かの人たちがテーブルにお茶の支度を整えているところだった。彼らにお辞儀をすると、駆け寄って来た子供達にも手伝わせてお菓子の山をテーブルに運び込んだ。
　日曜日の午後、近所のお年寄り達や小さな子供達とお茶会を催すのが、レイコの楽しみだった。家庭用としてはやや大掛かりな設備を備えたキッチンも、この為にあるといってよい。
「おねえちゃん、おいしい！」口の周りをクリームでべたべたにして少女が笑う。
「本当。レイコのお菓子は天下一品ね。」御隣に住むワトソン夫人がうなずく。
「祖母の直伝ですの。」レイコは微笑む。

　休日の午後の時間は緩やかに過ぎてゆく。お年寄りたちのおしゃべりは延々と続いていた。長身の老人がバイオリンを奏でる。子供達を集め、玄人はだしの奇術を披露する人もいた。

　マックスの母、グエンの笑顔を思い出した。ユタで農業を営んでいた彼女は、レイコにたくさんの事を教えてくれた。お菓子の作り方、お日様の温かさ、草むらをわたる風の優しさ・・・
　片づけを終えて、レイコはベンチに寝そべって空を見ていた。

　はるか数万光年の彼方で、アスカも義母の事を思い出していた。初めてグエンを訪ねた時、彼女は息子の妻を抱きしめてこう言った。
「来てくれてありがとう。会いたかったわ。」手料理をごちそうになりながら、アスカは新しい母のことが大好きになってしまった。明るい瞳、優しい微笑みは無論の事、そばによる者を憩わせるおおらかな温かさに魅了された。少女の時代から大地に根ざして生きてきたためだろうか、たおやかさと強さが両立するグエンはすてきなお手本であり、心強い先輩だった。
「かわいい子ね。あなたに良く似ているわ。」レイコが生まれた時、赤子を抱き上げて微笑む義母は、我が子とどのように向き合って行くべきか悩んでいたアスカに勇気を与えてくれたのだ。

　一昨年、レイコが探査航海に参加せず、地球に残ることを決めたとき、アスカは残念がった。
　レイコが両親とともに初めて宇宙に出たのは彼女が１２歳の時だった。幼いころから、仕事に打ち込む両親の姿を見るのが好きだった彼女は、ごく自然に宇宙への旅に憧れていた。エリダヌス星系への旅は本当にすばらしかった。多感な時期にうけた感銘は、何物にも代え難い貴重な体験であり、その機会を得た事を幸運に思っている。両親の仕事に関われた事もうれしかった。以後、探検・観測に参加してさまざまなキャリアを身につけていった。学位も宇宙空間で取った。アスカの心の中にも、聡明な娘に将来を託したい思いが無かったと言えば嘘になる。
　懐かしいグエンは、もういない。訃報に接した時のアスカの悲嘆は、レイコにある決心をさせた。
　遠く宇宙を駆けても、母の心の一部はやはりこの地球に繋ぎ止められているのだ。祖母に代わって旅から帰った母を抱きしめ、「おかえりなさい」と言ってあげたい。そう、思った。
　それに、今のレイコは宇宙よりもこの地球の方によりいとおしさを感じていた。
　風の吐息も、暖かな木漏れ日も、甘い水ときらめく鱗、薫る若葉、空の鳥・・・すべてのもののデリケートなバランスを彼女は愛していた。人類は未だサードインパクトからの復興の途上にある。いずれは環境プロジェクトに参加するため、辺境に赴いて宇宙での体験を生かしたいと希望していた。

　アスカは、娘が地球に残り、自分の秘書を勤めてくれていることに感謝しつつも申し訳なく思っていた。子供達には各々の夢のために自由に生きて欲しいと思っていた。親の都合を子供に押し付けてはならない、それは彼女にとって強迫観念に近かった。
「気にするな。首輪がついているわけじゃない。心配しなくても子供達は自分の道を歩いてゆくさ。」マックスは言う。アスカが彼らを愛している、それで十分だと。
「あたし、まだ自由になれていないのかもね。愛されなかった罪悪感から、愛せないかも知れないと言う恐れから・・・」


「こんなお天気のいい日は、いつまでもこうしていたいわね。」レイコは空を行く雲に囁く。澄み渡る空は無限の未来に通じていた。まだ始まったばかりのレイコの青春も同様だった。日が傾き、宵の明星が姿を見せた。いつかまた、何かが自分を宇宙への旅に誘う日も来るかもしれない。けれどもしばらくは、おばあちゃんが愛したこの大地で生きていたいのだ。





　今日も厳しい訓練が終わった。更衣室でフライトスーツを脱ぐ。すぐに冷たいシャワーと暖かいシャワーを交互に浴び、バスローブをはおってエアコンの冷たい風にあたるとほっとした。
「ユリ、今夜飲みにいかない？」シャワーから出てきたリンダが声をかける。
「リンダ、素っ裸で歩き回らないでよ。恥ずかしい。」
「いいじゃないの、女同士なんだから。」
「そう言う問題じゃない！！」
「にっぽん人って、シャイなのね。で、どーする？」
「・・・そうね。行こうかな。」

　行き付けの店で、仲間たちと他愛のないおしゃべりをしながらグラスを傾けるユリは、ふと先日の休暇でのアスカとの会話を思い出していた。”あなたがどんな結論を出そうとだれもあなたに失望したりしない”父は、何も言わずに微笑んで迎えてくれるだろう。ヒカリおばさまは自分を抱きしめ、「おかえりなさい」と言ってくれるに違いない。
　結局私は甘ったれなんだ・・・
「帰っちゃおうかな・・・」”星の海を行くものは、代わりに失うものの大きさを知っている”アスカの言葉。では、得るものは何だろう？
「ねえ、リンダ、あんたどうしてここに来たの？」
「カーチス・ニュートンのファンなのよ。あたし。」タコさんウインナーをつまみながら娘はにぱっと笑った。
「俺はモーガン・ケインだ」向かいの青年が話に割り込む。
「なんのこっちゃ。」ユリは窓の外に投影された星空（船外の映像）を見た。


　翌日、フライトスーツを身に付けたユリは、ワルキューレに搭乗する。前日のＴ２９９高等練習機とは異なり、武装した実戦仕様だ。シートに体を固定すると操縦システムと航法システムを起動した。宇宙機には窓がない。操縦席を取り囲む内壁が表示装置となり、複数のカメラが捕らえた映像を処理してあたかも内壁が透明なガラスで出来ているかのように見せることができるようになっていた。
　自分の機体がカタパルトに固定され、航空甲板に移動する様子も、操縦席から表示機越しに見ることができた。まもなく視界は艦外のものになり、指揮所からの指示が届いた。
　ユリの乗る機体は虚空に解き放たれた。すさまじい加速度がパイロットをシートに押し付ける。

　船団の保有する機動兵器・ワルキューレは総数６００機。その大半が４つの前衛艦隊の哨戒航空隊に配備されている。 　航路パトロール、救難活動の支援、探査地域への先乗りなど、船団の安全保障の要となる前衛艦隊の中核として機能していた。
　また、船団は攻撃部隊を持たないが、哨戒航空隊はいざと言う時には外敵の排除を命じられることになっている。

　ワルキューレを駆るパイロットは現在約８００名。各国空軍から選抜された精鋭中の精鋭である。それ以外に約６００名のパイロットが候補生として訓練を受けていた。
　パイロット候補生の訓練は、シミュレーションと実機操縦を交互に繰り返して行われていた。全員、選抜段階ですでに高い水準に達していた者ばかりなので、訓練は無重力飛行への慣熟と各自の限界を超えた操縦技術の習得を目的としている。

「こちら、T１。発進完了。」
「了解。フェーズ２に移行せよ。」訓練飛行指令書に従い、僚機と編隊を組む。操縦席のスクリーンには、一糸乱れぬダイヤモンド編隊が表示されていた。火器管制システムの表示が変わり、標的をロック・オンした事を知らせる。４機のワルキューレは一斉にポジトロン・ビーム砲を発射した。
「命中確認。」指揮官機の報告と同時に編隊は回頭し、次の戦闘域に進入する。今度は編隊を解き、各個に別々の標的に襲い掛かった。
　標的は静止しているわけではない。それ自体高速で飛行し、こちらのロック・オンを回避して反対に後ろを取るようにプログラムされている。しかも生身のパイロットよりも加速度変化への耐久性は高いので機体の性能ぎりぎりに運動性能を発揮できた。わずかなミスが敗北につながるやっかいな相手だった。

　候補生達は日ごろのシミュレーションの成果を発揮し、この強敵に対し的確な攻撃を加えていった。間もなくすべての標的は小さな火球となって消えた。
「よくやった。帰投せよ。」
　着艦も無事終了し、今日の訓練が終わった。外のリアルな映像は消え、電源を失った灰白色の表示パネルに戻った。
「何やってるんだろう、私・・・」ユリのつぶやきは、誰にも聞こえなかった。

（つづく）


＊初出：99/03/12 NIFTY-SERVE FANCREATE MES15

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