「新世紀 航空宇宙史」より
星の海 序章
いささかおぼつかない思いで出したメールに、思いがけずに素早い応答があり、先方の要請に従ってこちらのスケジュールを通知したところ、すぐに返事があった。
西暦２０４８年１０月、第三東京国際空港のトランジェットで営業するカフェテラスに腰掛け、コーヒーを注文した直後に、彼女はやって来た。
かつて炎のようにたなびいていた栗色の髪は肩までの長さにカットされていたが、相変わらず均整のとれた体を包む上品なデザインのスーツによく映えていた。
そして彼女はシンジの姿をみとめると、懐かしそうに、そして彼がはっとするほど優しく笑った。
「お久しぶりです、碇さん。」にっこりと微笑むその女性は、彼の思い出の中にある少女の面影を残し、さらに美しく、そしてそこはかとない威厳を身につけていた。
若い。それがシンジの第一印象だった。つややかな頬と輝く紺碧の瞳、しなやかな四肢ときびきびした動作、２０代といっても通用する容姿は、最近の抗老化医学の進歩を考えに入れても驚くべきことだった。すでに老け込みはじめている自分の体を思い浮かべ、ひそかに苦笑いする。
強い意志を秘めて、それでいて悪戯っぽい光をたたえた碧い瞳は、しばし彼に少年の日の甘くそして苦い記憶を思い起こさせて胸の奥にかすかな痛みをおぼえさせる。しかし今彼の目の前にいるのは有能で自信に満ちた大人の女性だ。シンジは自分自身の来し方を振り返るように心に浮かんだ感傷をそっと脇に押しやった。
「お伺いできなくて申し訳ありませんでした。あの・・・あらためて、おくやみ申し上げます。」深々と頭を下げる彼女が、昨年亡くなった妻の葬儀に参列できなかったことを詫びているのだと気づき、シンジはアスカの仕事に思いをはせる。
人類はサードインパクトからの復興と平行させ、世界的な規模で恒星間飛行技術の開発に取り組んできた。そのきっかけとなった出来事こそ、アスカが二十歳の時に発表した論文だった。「重力方程式の特殊解に関する研究」このきわめて専門的な論文が示唆したものは、宇宙航空技術のブレークスルーとなった。やがて西暦２０２８年、アスカとその協力者達によって設計された「スターゲートジェネレータ：空間転移機関」を搭載した最初の恒星間宇宙船が建造され、人類はついに星の海を渡る手段を手にしたのである。
それ以来、アスカは宇宙を飛び続けていた。処女航海以来３度の外宇宙探査航海に参加し、遠い星々を訪れて廻ったアスカは、数年に一度しか地球の土を踏んでいない。
理学及び工学博士、国連高等弁務官、そして国連宇宙軍中将、それが今のアスカだった。
「それにしても、よく来てくれたねえ。」
「私こそ、連絡をいただいて嬉しかったわ。お会いするのは１５年ぶりかしら。」
「ああ。君がオリオンへ出発する時、トウジ達と集まった時以来だよ。」
「以来、なしのつぶて。ヒカリ達や相田君はちょくちょく連絡をくれるのに。」
そういってアスカはシンジを軽くにらんだ。
「ごめん。しかし・・・」
「何？」
「その・・・君は重要人物だから。」
「そんな・・・私にとってシンジは最重要人物よ！メールだって秘書を通さずに直接私に届くようにしてあるんですもの。もっとかまってよね！」
「ごめん・・・」
「でもよかった。あと１日遅ければ月面の訓練施設に出発するところだったのよ。来年そこを発ったらまた外宇宙ですもの。」
「今度は船団司令だそうだね。」
「このごろは予算も取りにくくて・・・移住可能な恒星系の踏査と資源供給のための航路開発、ってことでやっとね。で、失敗した場合の責任は自分で取れってわけなのよ。でもしくじらなからね、あたし。」ニッと笑うアスカ。
「アスカは強いな。」
「他の生き方を知らないのよ。何かに自分を駆り立てて、人と競争して、自分が無意味な存在じゃないと証明し続けずにはいられないの。・・・あの頃のまま。」
「君は、すてきだった。」遠い目をするシンジ。
「嘘。いやな娘だったはずよ。いつも何かに腹をたてて、当たり散らしていたわ。」
「あの頃の僕は、怒っているアスカが眩しかったよ。」
「・・・ありがとう。」語るべき言葉は、今更無かった。二人はしばらくの間、黙ってコーヒーをすすった。
「実は・・・娘が行くことになった。」
「え？ユリちゃんが？」
アスカはまだ、シンジの愛娘を写真でしか見たことがない。それも１０年以上前の事で、その中で少女は父と母に囲まれて幸福そうに笑っていた。暖かな中で育った、健やかな満ち足りた笑顔。いい子だ、その時アスカは思った。我が子らの笑顔がそれにだぶる。
「学校を出て、空自にパイロットで入ったんだが、いつのまにか申し込んでいたんだ。」
「気づかなかったわ。今度のチームは総数５００００人を超えるから・・・そう。パイロットとするとワルキューレの候補生かしら。」
「マリコを亡くした今、あの子は私にとって唯一のものだ。しかし決心が固くてね。」
「今度の航海は１０年の予定。寂しくなるわね。」
「ああ。それで、その、アスカに会って話がしたくなって。忙しい君には申し訳なかったんだけれど・・・」
昔のくせが出て、うつむきかげんになりながらもごもごと口篭もるシンジ。アスカは、眉をくもらせた。
「・・・選抜から、外すのは無理よ。あたしにそんな権限ないし、第一そんな事、しちゃいけない。」
「ちがうんだ。僕も親だから・・・そうじゃなくて、あの子を、ユリを、頼む。航海は１０年。その間あの子は独りぼっちだ。」
「・・・よかった。」アスカはにっこり笑った。
「司令官としては、全員の安全を第一に考えてみんなを平等に扱うつもりです。でも、アスカ個人としてはユリちゃんはあたしの姪のようなもの。どんな事があっても守ると約束するわ。安心して、シンジ！」
「ありがとう、アスカ・・・」
「シンジと、そして亡くなったミサトは私にとって大切な家族。いつもそう思っているから。あ、そうだ、これ、あたしの予備のメールアカウント。ユリちゃんにも教えとくから。ここを経由すればいつでも外宇宙の彼女と最優先でコンタクトできるわ。立体映像もＯＫよ！」
「大切な家族・・・」
アスカと別れ、帰宅する車の中でシンジはつぶやく。あの、１４歳の常夏の日々、ミサトとシンジ、そしてアスカの３人で暮らした日々、それは思い出などと言う言葉で表現できるようなものではなかった。それを、アスカは・・・
「やっぱり君は、僕なんかよりもずっと強いね。」
「ミサトさん、僕の娘が、宇宙へ旅立ちます。アスカと共に・・・」
「大切な家族・・・」
同じ頃アスカもつぶやく。
「あたしがシンジの娘を預かることになるとはねえ。ミサトが聞いたらどんな顔をするかしらね。」
（つづく）
＊初出：99/03/02 NIFTY-SERVE FANCREATE MES15
西暦２０４８年１０月、第三東京国際空港のトランジェットで営業するカフェテラスに腰掛け、コーヒーを注文した直後に、彼女はやって来た。
かつて炎のようにたなびいていた栗色の髪は肩までの長さにカットされていたが、相変わらず均整のとれた体を包む上品なデザインのスーツによく映えていた。
そして彼女はシンジの姿をみとめると、懐かしそうに、そして彼がはっとするほど優しく笑った。
「お久しぶりです、碇さん。」にっこりと微笑むその女性は、彼の思い出の中にある少女の面影を残し、さらに美しく、そしてそこはかとない威厳を身につけていた。
若い。それがシンジの第一印象だった。つややかな頬と輝く紺碧の瞳、しなやかな四肢ときびきびした動作、２０代といっても通用する容姿は、最近の抗老化医学の進歩を考えに入れても驚くべきことだった。すでに老け込みはじめている自分の体を思い浮かべ、ひそかに苦笑いする。
強い意志を秘めて、それでいて悪戯っぽい光をたたえた碧い瞳は、しばし彼に少年の日の甘くそして苦い記憶を思い起こさせて胸の奥にかすかな痛みをおぼえさせる。しかし今彼の目の前にいるのは有能で自信に満ちた大人の女性だ。シンジは自分自身の来し方を振り返るように心に浮かんだ感傷をそっと脇に押しやった。
「お伺いできなくて申し訳ありませんでした。あの・・・あらためて、おくやみ申し上げます。」深々と頭を下げる彼女が、昨年亡くなった妻の葬儀に参列できなかったことを詫びているのだと気づき、シンジはアスカの仕事に思いをはせる。
人類はサードインパクトからの復興と平行させ、世界的な規模で恒星間飛行技術の開発に取り組んできた。そのきっかけとなった出来事こそ、アスカが二十歳の時に発表した論文だった。「重力方程式の特殊解に関する研究」このきわめて専門的な論文が示唆したものは、宇宙航空技術のブレークスルーとなった。やがて西暦２０２８年、アスカとその協力者達によって設計された「スターゲートジェネレータ：空間転移機関」を搭載した最初の恒星間宇宙船が建造され、人類はついに星の海を渡る手段を手にしたのである。
それ以来、アスカは宇宙を飛び続けていた。処女航海以来３度の外宇宙探査航海に参加し、遠い星々を訪れて廻ったアスカは、数年に一度しか地球の土を踏んでいない。
理学及び工学博士、国連高等弁務官、そして国連宇宙軍中将、それが今のアスカだった。
「それにしても、よく来てくれたねえ。」
「私こそ、連絡をいただいて嬉しかったわ。お会いするのは１５年ぶりかしら。」
「ああ。君がオリオンへ出発する時、トウジ達と集まった時以来だよ。」
「以来、なしのつぶて。ヒカリ達や相田君はちょくちょく連絡をくれるのに。」
そういってアスカはシンジを軽くにらんだ。
「ごめん。しかし・・・」
「何？」
「その・・・君は重要人物だから。」
「そんな・・・私にとってシンジは最重要人物よ！メールだって秘書を通さずに直接私に届くようにしてあるんですもの。もっとかまってよね！」
「ごめん・・・」
「でもよかった。あと１日遅ければ月面の訓練施設に出発するところだったのよ。来年そこを発ったらまた外宇宙ですもの。」
「今度は船団司令だそうだね。」
「このごろは予算も取りにくくて・・・移住可能な恒星系の踏査と資源供給のための航路開発、ってことでやっとね。で、失敗した場合の責任は自分で取れってわけなのよ。でもしくじらなからね、あたし。」ニッと笑うアスカ。
「アスカは強いな。」
「他の生き方を知らないのよ。何かに自分を駆り立てて、人と競争して、自分が無意味な存在じゃないと証明し続けずにはいられないの。・・・あの頃のまま。」
「君は、すてきだった。」遠い目をするシンジ。
「嘘。いやな娘だったはずよ。いつも何かに腹をたてて、当たり散らしていたわ。」
「あの頃の僕は、怒っているアスカが眩しかったよ。」
「・・・ありがとう。」語るべき言葉は、今更無かった。二人はしばらくの間、黙ってコーヒーをすすった。
「実は・・・娘が行くことになった。」
「え？ユリちゃんが？」
アスカはまだ、シンジの愛娘を写真でしか見たことがない。それも１０年以上前の事で、その中で少女は父と母に囲まれて幸福そうに笑っていた。暖かな中で育った、健やかな満ち足りた笑顔。いい子だ、その時アスカは思った。我が子らの笑顔がそれにだぶる。
「学校を出て、空自にパイロットで入ったんだが、いつのまにか申し込んでいたんだ。」
「気づかなかったわ。今度のチームは総数５００００人を超えるから・・・そう。パイロットとするとワルキューレの候補生かしら。」
「マリコを亡くした今、あの子は私にとって唯一のものだ。しかし決心が固くてね。」
「今度の航海は１０年の予定。寂しくなるわね。」
「ああ。それで、その、アスカに会って話がしたくなって。忙しい君には申し訳なかったんだけれど・・・」
昔のくせが出て、うつむきかげんになりながらもごもごと口篭もるシンジ。アスカは、眉をくもらせた。
「・・・選抜から、外すのは無理よ。あたしにそんな権限ないし、第一そんな事、しちゃいけない。」
「ちがうんだ。僕も親だから・・・そうじゃなくて、あの子を、ユリを、頼む。航海は１０年。その間あの子は独りぼっちだ。」
「・・・よかった。」アスカはにっこり笑った。
「司令官としては、全員の安全を第一に考えてみんなを平等に扱うつもりです。でも、アスカ個人としてはユリちゃんはあたしの姪のようなもの。どんな事があっても守ると約束するわ。安心して、シンジ！」
「ありがとう、アスカ・・・」
「シンジと、そして亡くなったミサトは私にとって大切な家族。いつもそう思っているから。あ、そうだ、これ、あたしの予備のメールアカウント。ユリちゃんにも教えとくから。ここを経由すればいつでも外宇宙の彼女と最優先でコンタクトできるわ。立体映像もＯＫよ！」
「大切な家族・・・」
アスカと別れ、帰宅する車の中でシンジはつぶやく。あの、１４歳の常夏の日々、ミサトとシンジ、そしてアスカの３人で暮らした日々、それは思い出などと言う言葉で表現できるようなものではなかった。それを、アスカは・・・
「やっぱり君は、僕なんかよりもずっと強いね。」
「ミサトさん、僕の娘が、宇宙へ旅立ちます。アスカと共に・・・」
「大切な家族・・・」
同じ頃アスカもつぶやく。
「あたしがシンジの娘を預かることになるとはねえ。ミサトが聞いたらどんな顔をするかしらね。」
（つづく）
＊初出：99/03/02 NIFTY-SERVE FANCREATE MES15
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