そして、少女は・・・
補完空間。
すべてのものの、総和にして単一なる原初の世界。
凶凶しくも安らかな空間の中心に、少女はいた。
陽炎のゆらめきの中に、ひっそりと佇む少女の蒼い髪は優しい風になびき、
真紅の瞳は伏せられた長い睫の陰に半ばかくされて、
薔薇の唇はかすかな吐息を漏らす。
彼女の白くしなやかな腕は、世界の中ではそのすべてを手にする事が出来たが、
今はただ、寒さに震えるかのように己の体を抱きしめるばかりだった。
そう、ある意味では、彼女自身がこの世界そのものであると言えた。
碇君は帰っていった。弐号機パイロット・・・惣流さんも帰ろうとしている。
他の人々も、まもなくもとの時間に帰ってゆくだろう。
帰る事を望まない人々も多くいるだろうが。
この空間は、やがて消える。
碇君がそう望んだから。
今となってはもともと存在しなかった空間だから。
私は綾波レイ。人に似て、人に在らざるモノ。
私も消える。
それが私の願い。
私も、存在してはならないモノだから。
あの人の野望のために作り出された道具なのだから。
消えてゆくことだけが、私の望みだったのだから。
でも・・・
葛城三佐を呼ぶ日向二尉の声が聞こえる。
冬月副司令が微笑んだような気がした。
碇司令の後ろ姿・・・
碇君はもう、いない。碇・・・くん・・・
『本当は、行かせたくなかったのね』
私と同じ声。「あなた、誰？」
『私はあなた。でも、あなたの知らないあなた』
碇君を守って死んだ二人目の綾波レイ。碇君に恋した私。
『それはあなたも同じね』
声が言う。私も同じ？そうなの？私も彼の心を求めているのか・・・
何故？
三人目の私には何もない。
碇君との思い出を憶えてはいても知らない私の心の痛み。
その心の痛さが彼を求めるのか？
『だから、同じなのよ。人は心が痛いから、他の人の心を知ろうとする・・・
人の心に触れた瞬間は、記憶には残らないわ・・・
残らないから、人は繰り返す。求め続けるのよ。』
そう答える声がした。したような気がしただけなのかもしれない。
人の心はいつも痛い。
信じてもらえないから。
相手の心を知りたいから。
ひとりきりだと、感じるから・・・・・
それは、悲しみ？憎悪？寂寥？
すべて、同じ。
思いが届かず、心を受け止めることができなくて、心が痛いのね・・・
多くの人々が、もとの世界に帰ってゆき、
また多くの人々が帰ることを拒否して虚空に消えていった。
消えゆく人々の魂は、何処にゆくのか・・・・
帰ってゆく人々の心を、消えゆく人々の心を、私は全身に感じていた。
『ゆるしてくれ。レイ』
あの人の後姿。寂しそう。
誰かが泣いている。消え入りそうなか細い鳴咽。
『憎いわ。あなたが。』
ちがう。私は道具。あなたよりも愛されていたわけじゃない。だから泣かないで。
『帰っても、もう綾波さんには会えないの？』
悲しそうな声。
「誰？」声の方に意識を向ける。
同じ学校の人・・・？
『私、綾波さんに憧れていたの。
休み時間、木陰で本を読む綾波さんを見るのが好きでした。
奇麗で、凛としていて。話かけたかったけど勇気がなくて・・・・』
心に小さな灯火がともるような気持ちがした。思わず抱きしめる。
『ありがとう・・・』
ありがとう・・・？感謝の言葉・・・？私にむけられた・・・？
「ありがとう」
『綾波は来んのか？』
『綾波さんは帰らないの？』
『綾波？』
『レイちゃん、どうしたの？』
『レイ、ごめんね・・・』
モノではなかったのね、私。
ありがとう。そしてさようなら、みんな。私を忘れないで。
急速に崩壊してゆく周りの世界。
やはり、この世界は私自身だった。
私は消えるの？
寒い。
消えたくない。私は消えたくない。キエタクナイ・・・ああ。
『私と行く？』
あなた、誰？
他の人とは違う、この感じ。私の心のなか？いえ、違う。
「何処へ行くの？」
『平行するたくさんの、遥かな時空へ。
そして何処でも、あなたの望む所に舞い下りればいいのよ。』
「何処でも？」
『そう。』
今なら、何処へでも行ける気がする。
何処へでも・・・
無限に存在する時空の果て。その時、私は何になるのだろう？
『いいえ。その時、あなたはきっと何も知らない子供になっているわ。』
もうひとつの私の心を抱きしめた。
「いっしょに来るよね」
頬をつたう涙。
私の知らない私。
今はまだ、何もわからない。何もないけれど、
語りあう時間は無限にある。
いつか、私にもあの時の私を完全に理解できるかも知れない。
それは、あなたと、私の願いなのか？
その時には・・・
その時には、帰って来てもいいですか？
「私、行きます。」
私にむかって、両手が差し伸べられるのを感じた。
唐突に、私は理解する。
生まれ出た瞬間。
暖かい抱擁と、許し。
かつてあなたであった私。
そうか・・・
『翔ぶわよ、レイ・・・』
「はい・・・・・・お母さん・・・・」
（終）
＊初出：98/05/18 NIFTY-SERVE SGAINAX MES16
すべてのものの、総和にして単一なる原初の世界。
凶凶しくも安らかな空間の中心に、少女はいた。
陽炎のゆらめきの中に、ひっそりと佇む少女の蒼い髪は優しい風になびき、
真紅の瞳は伏せられた長い睫の陰に半ばかくされて、
薔薇の唇はかすかな吐息を漏らす。
彼女の白くしなやかな腕は、世界の中ではそのすべてを手にする事が出来たが、
今はただ、寒さに震えるかのように己の体を抱きしめるばかりだった。
そう、ある意味では、彼女自身がこの世界そのものであると言えた。
碇君は帰っていった。弐号機パイロット・・・惣流さんも帰ろうとしている。
他の人々も、まもなくもとの時間に帰ってゆくだろう。
帰る事を望まない人々も多くいるだろうが。
この空間は、やがて消える。
碇君がそう望んだから。
今となってはもともと存在しなかった空間だから。
私は綾波レイ。人に似て、人に在らざるモノ。
私も消える。
それが私の願い。
私も、存在してはならないモノだから。
あの人の野望のために作り出された道具なのだから。
消えてゆくことだけが、私の望みだったのだから。
でも・・・
葛城三佐を呼ぶ日向二尉の声が聞こえる。
冬月副司令が微笑んだような気がした。
碇司令の後ろ姿・・・
碇君はもう、いない。碇・・・くん・・・
『本当は、行かせたくなかったのね』
私と同じ声。「あなた、誰？」
『私はあなた。でも、あなたの知らないあなた』
碇君を守って死んだ二人目の綾波レイ。碇君に恋した私。
『それはあなたも同じね』
声が言う。私も同じ？そうなの？私も彼の心を求めているのか・・・
何故？
三人目の私には何もない。
碇君との思い出を憶えてはいても知らない私の心の痛み。
その心の痛さが彼を求めるのか？
『だから、同じなのよ。人は心が痛いから、他の人の心を知ろうとする・・・
人の心に触れた瞬間は、記憶には残らないわ・・・
残らないから、人は繰り返す。求め続けるのよ。』
そう答える声がした。したような気がしただけなのかもしれない。
人の心はいつも痛い。
信じてもらえないから。
相手の心を知りたいから。
ひとりきりだと、感じるから・・・・・
それは、悲しみ？憎悪？寂寥？
すべて、同じ。
思いが届かず、心を受け止めることができなくて、心が痛いのね・・・
多くの人々が、もとの世界に帰ってゆき、
また多くの人々が帰ることを拒否して虚空に消えていった。
消えゆく人々の魂は、何処にゆくのか・・・・
帰ってゆく人々の心を、消えゆく人々の心を、私は全身に感じていた。
『ゆるしてくれ。レイ』
あの人の後姿。寂しそう。
誰かが泣いている。消え入りそうなか細い鳴咽。
『憎いわ。あなたが。』
ちがう。私は道具。あなたよりも愛されていたわけじゃない。だから泣かないで。
『帰っても、もう綾波さんには会えないの？』
悲しそうな声。
「誰？」声の方に意識を向ける。
同じ学校の人・・・？
『私、綾波さんに憧れていたの。
休み時間、木陰で本を読む綾波さんを見るのが好きでした。
奇麗で、凛としていて。話かけたかったけど勇気がなくて・・・・』
心に小さな灯火がともるような気持ちがした。思わず抱きしめる。
『ありがとう・・・』
ありがとう・・・？感謝の言葉・・・？私にむけられた・・・？
「ありがとう」
『綾波は来んのか？』
『綾波さんは帰らないの？』
『綾波？』
『レイちゃん、どうしたの？』
『レイ、ごめんね・・・』
モノではなかったのね、私。
ありがとう。そしてさようなら、みんな。私を忘れないで。
急速に崩壊してゆく周りの世界。
やはり、この世界は私自身だった。
私は消えるの？
寒い。
消えたくない。私は消えたくない。キエタクナイ・・・ああ。
『私と行く？』
あなた、誰？
他の人とは違う、この感じ。私の心のなか？いえ、違う。
「何処へ行くの？」
『平行するたくさんの、遥かな時空へ。
そして何処でも、あなたの望む所に舞い下りればいいのよ。』
「何処でも？」
『そう。』
今なら、何処へでも行ける気がする。
何処へでも・・・
無限に存在する時空の果て。その時、私は何になるのだろう？
『いいえ。その時、あなたはきっと何も知らない子供になっているわ。』
もうひとつの私の心を抱きしめた。
「いっしょに来るよね」
頬をつたう涙。
私の知らない私。
今はまだ、何もわからない。何もないけれど、
語りあう時間は無限にある。
いつか、私にもあの時の私を完全に理解できるかも知れない。
それは、あなたと、私の願いなのか？
その時には・・・
その時には、帰って来てもいいですか？
「私、行きます。」
私にむかって、両手が差し伸べられるのを感じた。
唐突に、私は理解する。
生まれ出た瞬間。
暖かい抱擁と、許し。
かつてあなたであった私。
そうか・・・
『翔ぶわよ、レイ・・・』
「はい・・・・・・お母さん・・・・」
（終）
＊初出：98/05/18 NIFTY-SERVE SGAINAX MES16
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